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コメダ珈琲って自立を援助してるんじゃね!?

優雅な気分に浸るモーニング みなさんはお店でモーニングを食べたことがありますか? モーニングの権利は、朝早く起きた者にしか与えられないのです! 家で朝ごはんを食べるのとは違った優雅で、贅沢な気分になることができますよね。 これは私が週末の朝、コメダ珈琲で少し遅めのモーニングを優雅にとっていた時のことです。 隣のテーブルに、ある家族が座っていました。 そこで私が目にしたのは、小学3年生くらいの女の子が、一人で店員さんにモーニングメニューの注文を伝えている姿でした。 無限の選択肢。それがモーニング コメダ珈琲のモーニングを体験した方はお分かりかもしれませんが、注文は意外と複雑です。 手順はこんな感じ 1.  パンの種類を選ぶ(ローブパンか山食パンか) 2.  トッピングを選ぶ(定番のゆで卵、たまごペースト、おぐらあんなど) 3.  仕上げを選ぶ(バターを塗るか、ジャムにするか、はたまた何も塗らないか) 色々な組み合わせを考えると、どれも捨てがたい。大人でも一瞬「えーっと」と迷ってしまうような選択肢の数々。 これを、わずか9歳か10歳の子が自分一人の力で注文しようとしていました。 自分で選択するが故の真・モーニング その子が注文する様子を彼女の両親はじっと黙って見守っていました。 決して「ほら、早く言いなさい」と急かしたり、「いつものでいいんじゃない?」と答えを催促するようなことはしていませんでした。 していたのは、ただじっとその子の注文を見守るだけ。 この「大人が介入しない時間」こそが、成長に必要なのではないかと思いました。 注文という小さな行動の中には、これだけの学びが含まれています 。 何をどの順番で伝えるべきか手順を考える 「自分が食べたいもの」の選択のために欲求を言語化する 注文が通ったという実感が、自信に繋がり、成功体験となる。 「誰かに選んでもらったもの」を食べるのと、「自分で選択して」食べるのでは、経験値が違います。 見守りによる「安全フィールド」 学校では「キャリア教育」を取り扱います。その言葉からは、 壮大な夢や職業の話を想像しがちです。しかし、その根幹にあるのは 「自分の人生を、自分で選択する力」 だと思います。 日常の中に散りばめられた小さな選択の場を提供し、子供が自由に選べる環境を作ること。それが、将来的に自分らしいキ...
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始業10分前の Accident

アクシデントは仕事の醍醐味 私は 「準備が命」 だと思っている。 緻密な計画・完璧なスライド・生徒からの想定問答 私はそう疑わずに信じて疑わない人間です。 ですが、そんな私にアクシデントが降りかかってきた。 一緒に授業をするはずだったALTの先生が欠勤となってしまった。そこまではまだ良かった。 急遽、代理の初対面のALTの先生が出勤することになった。 そのことを知ったのが始業の10分前なのである、、、 ぶっつけ本番!50分の闘い どこの国の出身なのか、日本のどこに住んでいるのか、そもそも何が好きなのかも知らないALTの先生と対面した。ひと段落したところでやっと打ち合わせが始まった。 本日限定の彼との打ち合わせ時間はわずか 20分 。 確認できたのは、授業の大まかな流れだけでした。初めて会う先生と50分間授業をする。いわばプレゼンのようなものを行う。心配でいっぱいだった。 「自分一人でやったほうがマシかもしれない……」  そんな批判的な考えを抱きながら、私はプレゼンの舞台——教室へと向かいました。 そこで待っていたのは、 心配を凌駕する驚異のALT WORLD なのでした! Class Like a roller coaster! 50分の授業を終えた私の率直な感想は 「あっという間の50分」 「ALTワールドに圧倒された」 彼の最初の話は "Respect" についてであった。 授業では生徒同士・先生に対して "Respect" が必要だという話をした。  「授業において、生徒同士、そして先生に対する "Respect" が不可欠だ」 いきなり真剣な話であったため、教室の雰囲気は真面目モード一色に。 しかし、ここからが彼の真骨頂だった。 さきほどの真面目モードから一転、超フレンドリー先生に大変身! 派手なジェスチャー、軽快な会話のキャッチボール、メロディーに乗せて英単語の練習 ギャップと彼の話術にすぐに私も生徒も魅了された。気づけば50分なんてあっという間だった。まるでジェットコースターだった。 予期せぬ出会いがこそが最大の Lucky 振り返ると、彼との出会いは私にとって "Lucky" でしかなかった。 初めて出会った人といかに自分が調和することができるか。いわば自分の力試しをするこ...

「頑張って!」って無責任な言葉?

 みなさんはどんな言葉をもらったら嬉しいですか? ・自分の背中を押してくれる言葉 ・自分が持っていない視点からの言葉 ・熱いエール どれも素敵な言葉ではありますが、私は「自分を認めてくれる言葉」が嬉しいのではないかと思います。 7:40に登校した少女A 今日も出勤後のルーティンとして、まだ誰も登校していないはずの教室に暖房をつけに行きました。しかし、今日はAさんが教室で自習をしていました。彼女は勉強に対してはあまり意欲的なイメージはなく、「テストは2桁取れればいいや!」と言ったこともありました。 私   :「今日早くない?」 Aさん:「どうせ家に居ても勉強しないから、早く来て自習してる」 テストが近づいており、勉強への意欲が上がったのか、家で嫌なことがあって訳あり早め登校なのかはわかりませんが、私はAさんに 「頑張っているね」 と声をかけました。 「頑張って!」って無責任? 「頑張って!」と言おうと思ったのですが、Aさんのいつもの教室での係や当番などの貢献を考えてみると、「頑張って!」という言葉では足りず、どこか無責任なような気がしました。 普段の学校生活において、Aさんはとても協力的で、勉強にも積極的に取り組んでいる様子をみると、自然と応援したくなりました。 そんなAさんの姿を考えると、「頑張って!」よりも 「頑張っているね」 の方がふさわしいのではないかと思いました。 「頑張っているね」は、相手のプロセスを観察し、承認している証拠です。  「あなたの努力を、私はちゃんと見ているよ」  このメッセージが伝わったとき、人は初めて「次も頑張ろう」と心から思えるのではないでしょうか。 とはいえ便利な「頑張って!」 上のようにつらつらと文章を綴っていますが、結局便利だから使っちゃいますよね。今後の人生でもこの言葉は多用すると思います。 ですが、余裕がある時は一言添えたり、違う言葉で相手の背中を押したいなと思いました。ただ、ありきたりな言葉を投げるのではなく、「あなたのことを見ているよ」と伝えることができるような言葉を子どもたちに伝えたいと思います。

席替えって運命?いや、「仕組まれた」教育的意図

 席替えは運命を決める Big Event!!  みなさんの学校では、席替えってどうやって決めていましたか? 私の記憶では、先生が持っているくじを引き、運任せで決めるものでした。良くも悪くも座席は自分の運次第!一番前のアリーナ席で絶望するのか、めっちゃ仲の良い人や気になっている人と近くになり歓喜するのか・・・  しかし、現代の教育現場において、「くじ引き」なんていう ギャンブル性に溢れた方法は絶滅の危機に瀕しているのです! 選ばれし者たちによる極秘会議  では、今はどのように決めているのか。それは 「班長会」 です! 学級内で投票を行い、選ばれし者(班長)を選出します 班長と担任で座席を組んでいく 担任が最終決定を下す 会議自体は長い時は1時間以上もかかります。それは、考慮事項やそもそも子供同士の話し合いでスムーズに進まないこともありますが、主な原因は ゴシップネタ によるものです笑。 「〇〇って△△と付き合っていたんだよ!」「あの女子グループって仲悪いよね」 とか、普段は耳にしないようなゴシップが飛び交い、担任の私もついつい話に入ってしまうこともあります笑。  時間も手間もかかる席替えのシステムですが、楽しい面も案外あるのです笑。 中学生の人間関係の変化は激しいなと思います なんでくじ引きじゃなくて班長会?  「前に悪口を言ってきた人がいるから嫌だ」「仲がいい人がいないから学校行きたくない」 座席の位置を理由に登校渋りになる生徒がいます。それも1クラスに複数名いる場合も。みんな仲良くして、そんな不満がでないような学級を作るべきだ!という意見は真っ当なのですが、今の子供達に対して、それは難しいというのが私の率直な考えです。  さらに、教員側には「保護者への配慮」という目に見えないプレッシャーも存在します。以前、私も座席配置について保護者から問い合わせを受けた経験もあります。  子どもたちからしたら、席替えはドキドキワクワクなBig Eventかもしれませんが、教員からすると、正直気を遣わなければいけないイベントです。以前、座席の配置について保護者の方から問い合わせを受けたこともあります。 社会でそれって通用する?  社会人に出ても、オフィスなどで座席の配置があると思います。もし、隣に嫌な上司がいたらどうでしょうか? 「逃げたい!出勤したくない!」という気持ち...

道徳の授業の記憶ってあります、、、?

 みなさんは学生時代の道徳の授業の内容って覚えていますか?  私は学生時代、正直、道徳の時間はただぼーっとしている休み時間のようなイメージでした笑。 ・成績に入らない ・物語を読んで考えるだけ ・国語の授業のアナザーストーリー的なイメージ ・いわゆる一般的な「模範解答」を探る時間 しかし、教員になってから驚きました。 「今の時代、道徳はこんなにもガチでやらなければいけないのか!」 道徳の授業ってそんなに必要、、、?  中学校では 1年に35回 道徳の授業をすることが義務付けられています。ちゃんと通知表に評価欄があります。 しかし、学校の現場のリアルな視点からすると、現状は過酷です。普段の授業だけでなく、体育祭や音楽祭、校外学習などの行事の準備や進路学習もあります。本音を言うと、道徳の授業をするよりも、他のやるべきことに注力したいのです。ですが、そんなことは許されず、道徳の時数をこなすのに現場は精一杯です、、、 そして、個人的一番の困りポイントは 「道徳の授業では専門性が問われない!」 ということです。私の専門は英語です。教員採用試験のとき、英語の試験を受けました。しかし、道徳の試験は受けていません。英語の授業は非常勤講師がすることがあります。ですが、道徳の授業では、基本的に講師はいません。 正直、道徳ベイビーな「道徳とは!」と語ったところで、、、道徳の授業って誰でもいいんじゃ、、、ってか、そもそも道徳の授業ってなんだよ!というのが私の本音でした。 道徳は生物  以前、同僚の先生と道徳について話した時に、こんなことをその方はおっしゃいました。 「今の自分と10年後の自分。同じ題材を扱ったとしても、答えが変わっていると思う」 確かに!と思いました。経験値が少ない(極端に言うとぺらっぺらな)人間と、酸いも甘いも色々な経験をしてきた人とでは、同じ内容でも見え方が違うと思います。 逆に言えば、道徳の授業は 今のその人にしかできない唯一無二のもの なのかもしれません。 答えがないが故に難しく、簡単でもあると思います。同僚の言葉で、私の道徳に対する考え方は変わりました。道徳の授業は、今の自分の 「人間としての経験値を測る鏡」 だと考えています。 もし読者の中で道徳の授業を受ける方がいたら、「この先生はこう考えるんだ。」「自分と似ているな。」「正直、全然共感できないな。」な...